講演要旨集は<こちら>からダウンロードして頂けます

 

ゲノミクス時代の森林遺伝学
ニール デイビット 1, 2

1 カリフォルニア大学デービス校植物科学部、2 アメリカシロゴヨウ生態系財団(WPEF)

本講演では、林木における複雑な形質の背後にある遺伝子や、環境適応に関連する遺伝子の特定に関する、過去50年以上の実験的アプローチや進歩を年代順に説明する。昔から、森林遺伝学の研究者は、表現型形質の遺伝的成分を推定するために共通圃場を用いてきた。1970年代の初頭に、アロザイムやRFLP、AFLP、SSRといった遺伝マーカーが開発された。しかしながら、これらのマーカーは一般に中立な遺伝的変異をコードしていたため、遺伝子流動や遺伝的浮動、交配様式といった森林樹木の個体群動態のプロセスを理解するのに極めて有用であったが、その一方で自然選択や人為選択などの非中立なプロセスの理解にはほとんど貢献しなかった。複雑な形質や環境適応の背後にある個々の遺伝子を特定することが可能になったのは、現代のゲノム技術が開発された2000年にヒトゲノム配列が決定されてから以降であった。本講演では、私たちの研究グループによるいくつかの針葉樹種(テーダマツ、サトウマツ、ベイマツ、セコイア、セコイアデンドロン、アメリカシロゴヨウ、ブリストルコーンパイン)でのゲノムやトランスクリプトーム配列を用いたゲノムワイド関連解析研究を紹介する。

 

第三紀遺存樹種カツラ属の進化保全ゲノミクス
珊珊 2・邱 英雄 3

2 浙江大学生命科学部、3 中国科学院武漢植物園

周期的な気候変動に対するレジリエンス(回復力)は、第三紀遺存樹種における必須の共通した特徴である。更新世の気候変動や人為による生育地の喪失の影響を受けた集団動態は、遺存樹種におけるひどく分断化した分布域や小さな集団サイズをもたらした。しかしながら、遺存樹種の過去の集団動態や自然選択、浸透交雑が、どのように遺伝的分化や遺伝的多様性、遺伝的荷重を形成したのか、そしてその結果長期に渡り生存し、集団の存続可能性に影響を及ぼしたのかは、まだほとんど明らかにされていない。カツラ属(カツラ科)は第三紀の遺存樹種で、カツラとヒロハカツラの2現生種からなる。高木種のカツラは東アジアの落葉広葉樹林の広域分布種で、中国の亜熱帯地域から北日本にまで分布している。一方、小高木種のヒロハカツラは、日本の本州中北部の亜高山帯林に分布が限られている。本研究では、2種の全ゲノム配列をPacBioロングリードとHi-C法で解読し、135個体(カツラ86個体、ヒロハカツラ49個体)の全ゲノムリシーケンスを行った。カツラとヒロハカツラの遺伝的分化の程度は大きかった。コアレセント理論に基づくデモグラフィー解析の結果、2種の分岐は中新世中期に、カツラの種内系統(中国と日本)の分岐は鮮新世前期に位置づけられた。第三紀後期/第四紀の気候変動による集団ボトルネックは、カツラとヒロハカツラの遺伝的多様性を大きく減少させた。広域分布種のカツラでは、長期に及ぶ平衡選択が、複数の染色体やヘテロ接合の遺伝子領域におけるゲノムワイドな変異を維持に貢献したのかもしれない。一方で、ストレス反応や成長関連遺伝子における選択的一掃は、局所適応に影響を及ぼしたのかもしれない。近親交配という点では、ヒロハカツラのゲノムには、カツラに比べてホモ接合がはるかに多く存在することが明らかになった。種レベルで、カツラに比べてヒロハカツラには中から高レベルの有害変異が蓄積していた。このことは、狭域分布種のヒロハカツラでは有害変異のパージが生じなかったことを示唆している。また、2種のゲノムには遺伝子浸透の痕跡がある箇所がいくつか存在し、それには適応遺伝子が関与していることがわかった。観測された遺伝子浸透の痕跡は、ランダムかつ頻度が低く、従って二次的接触により生じたと考えられた。本研究成果は、種および集団レベルでの第三紀の遺存樹種の保全の観点から、遺伝的変異の管理に重要な示唆をもたらすものであるといえる。

 

日本における林木育種の現況と今後の方向性
高橋 4

4 国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所林木育種センター

国家プロジェクトとしての林木育種事業は1950年度に始まり、以来60年余が経過した。スギ、ヒノキ、カラマツ、トドマツ等の主要な林業樹種において約9千の精英樹が全国の国有林、公有林、民有林から育種素材として選抜され、それらは検定林において評価されてきた。精英樹は主に成長や材質に関係する形質の評価がなされてきた。その結果、2022年3月末現在、スギで627、ヒノキで301、カラマツで122、トドマツで50の第二世代精英樹が選抜されている。選抜の進捗は地域や樹種によって異なるが、現在第二世代精英樹の選抜と普及、第三世代選抜に向けた育種集団の構築が進んでいる。成長や材質の形質以外にも、病害や気象害(寒害や凍害、雪害等)に対する抵抗性育種にも取り組みがなされてきた。日本の林木育種における最も特徴的な育種形質は、日本社会における深刻な社会問題の一つである花粉症問題と直結している、スギやヒノキにおける雄花着花性や雄性不稔である。近年は、山行き苗木の約半数にあたる1千万本以上の花粉症対策苗木が日本全国で植栽されている。

育種に要する期間の短縮は、長年林木育種における課題となってきた。これを実現するためには、対象樹種のゲノム情報を収集し、そのゲノム情報を活用した高速育種技術を開発することが重要である。林木育種センターでは、先駆的な取組としてスギに注力し、網羅的に発現遺伝子データの収集に取り組んできた。それらの情報を活用することにより、雄性不稔形質と強く連鎖するDNAマーカーを開発し、育種素材の中から表現型の上では隠れている無花粉遺伝子をヘテロで保有する精英樹を検出することに成功した。これらのマーカーは、無花粉育種におけるMAS(Maker Assisted Selection)を可能とし、ヘテロリソースを拡大するとともに、今後無花粉スギ育種に要する期間を短縮するものと期待される。このほか、スギにおけるGWASの可能性についても検討を行った。今後も高速育種技術開発の取組みを継続し、ゲノム情報を活用した育種技術の適用範囲の拡張を進めていく。

 

MIG-seq法を用いたゲノムワイドSNP分析による森林遺伝学研究
陶山佳久 5

5 東北大学大学院農学研究科

次世代DNAシーケンシング技術の開発は、遺伝学的研究に劇的な進歩をもたらした。ゲノムワイドSNP(一塩基多型)ジェノタイピング法は、次世代DNAシーケンシング技術の効果的な利用法の一つであり、分子系統学、分子系統地理学、集団遺伝学など、分子マーカーを利用した遺伝学的研究において広く使用されている。私たちは、MIG-seq(multiplexed inter-simple sequence repeat (ISSR) genotyping by sequencing)法と名付けられた新たなゲノムワイドSNP分析法を開発し、さまざまな森林遺伝学的研究に適用してきた。この方法の利点の一つは、分析対象の分類群ごとに手法の調整が必要なく、個体レベルから種内および種間、さらには属間レベルにも及ぶ幅広い生物学的階層に適用できることである。本講演では、MIG-seq法の簡単な説明をした上で、森林遺伝学における個体から属あるいは科レベルまでの応用研究を紹介する。

MIG-seq法は、PCRベースの次世代DNAシーケンシング法であり、ゲノムワイドSNPジェノタイピングのための高度に縮約されたゲノムDNAライブラリを構築することができる方法である。MIG-seq法では、生物種を問わずに適用することができるユニバーサルなISSRプライマーセットを用いることにより、さまざまな種のDNAサンプルから数千以上のゲノムワイド領域を増幅することができる。次のステップとして、NGSを利用してライブラリーのシーケンスを簡単に行うことができ、通常は数千を超えるゲノムワイド領域を、他のサンプルと比較可能なゲノム情報として検出することができる。このアプローチは、事前の遺伝子情報や、分析対象ごとの手法最適化等を必要とせず、同じプロトコルを使用して、森林植物・動物・菌類など、さまざまな種に効果的かつ確実に適用することができる。この手法を用いて、すでに集団遺伝・分子系統地理・系統分類学的研究などとして、以下に示すような個体・集団・雑種・種間の遺伝的違いを迅速に把握するための数多くの研究が行われている。

クローン識別分析は、MIG-seq法による個体レベルの研究として好例の一つである。例えば、タケ類などのクローナル植物のクローン識別分析に非常に適している。さらに、ごく近縁な栽培品種または育種品種などのDNA識別も、この手法の有効な利用例である。また、集団遺伝学や分子系統地理学の研究は、この手法の最も適したターゲットの一つである。この手法によって得られる数千のSNPマーカーが使用できる利点は、遺伝的多様性や遺伝的分化などの集団遺伝学的基礎情報を明らかにできることだけでなく、有効な集団サイズの変遷や集団分化のプロセスなど、集団動態履歴を再構築できることにもあるということに注目すべきである。さらに、分子系統分類学的な適用では、博物館標本試料への応用や種識別・新種発見なども含まれ、この手法におけるもう一つのホットなターゲットである。例えば、東南アジアの熱帯林やニューカレドニアなどの生物多様性ホットスポットにおける新種発見の国際プロジェクトや、日本の維管束植物の70%以上を調査する国内プロジェクトにMIG-seq法を適用している。これらの事例研究を本講演の中で紹介する。

森林遺伝学におけるさまざまな研究や関連する研究分野の進展において、MIG-seq法が少なからず貢献できることを期待している。